春キャベツが店頭に並ぶのをずーとずーと待っていた年寄りです。
でたー、春キャベツ。
ということで、先月、スーパーで春キャベツを手に持っていたら、見知らぬジイサンが寄ってきて、
「そんなキャベツなんてダメだダメだ、話にならん」、みたいなことを言う。
ジイサンの手には、春キャベツの倍はあるような重そうな普通のキャベツが、お値段も「春キャベツ」より、お安い。
ふん、ジイサン、アンタにはわかるまい、この「春」の瑞々しさ、美味さ、食感が。それは新ジャガや新タマネギにも言える。
この季節のこの短い期間だけの貴重な味わい、この美味さがわからんアンタとは話すだけ時間の無駄、というか、私に話かけるな。
ああ、こんな人が夫じゃなくて良かった。
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先日、購入したロング・カーディガンを羽織ったら、「あらー、いいじゃない。やっぱり新しいのはいいわね、気持ちがいいわよ」と老姉が言う。
そうね、新しいって、気持ちまでパリッ、シャンとするわね、姿勢まで良くなりそう。
と古い服も靴も捨てられない、この老妹も、そう思う。
古い、くたびれた顔と体に、古い服。すると、より、クタッ、ヨレッ、そして古さが強調されるじゃありませんか。
そして気持ちもズルズル、ヨレヨレ、頭も下向いて、背中も丸まりそう。
その点、「新しい」はいいわね、気持ちが華やぐわね、新緑がまぶしいこの季節は特にそんな気持ちになるわね。
それと「キレイ」と「カワイイ」もいいわね、いくつになっても、季節も関係なく、永遠だわね。
「アタラシイ」も「キレイ」も「カワイイ」も、今や、遠く遠く離れ離れて何億光年。
すっかり古びてしまった年寄り姉妹はつくづくしみじみ、そう思うのだった。
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