2階の西側の窓からは道行く人がよく見える。
今朝も何となく外に目をやると、女の人が杖をつき、ゆっくりと、休みながらこちらに向かって歩いて来るのが目に入った。
年配女性と思われるその人は、2-3歩、歩いては立ち止まり、首に巻いたタオルで? 汗を拭き、また2-3歩、そして、また休みタオルで汗を、ずーと、その繰り返し……大変だ。
ガンバレー! ガンバレー! 心の中で声援を送る。
続けて歩くも7-8歩が限界か。そんなまどろっこしい歩行ではあるけれど、きちんと踵から着地し、一歩一歩、丁寧に、ゆるい勾配のある道を上がってくる。
10時前とはいってもすでにカンカン照り。サンバイザーは着用しているけれど、暑いよ、ましてや、その歩行だもの、家に着くまで、あと、どれくらいかかるのか?
その人を見ていたら、我ら老姉妹の怠けっぷりが恥ずかしく、私の脚の不具合、痛みなど、軽い、軽い、そして「ヨーシ、私も」そう思えてきた。
姉は、もう歩くことを諦めてしまった感がありますが、私はまだ諦められません。
手術で以前と同じように歩くことができるなら、手術もしましょう。
でも、あと、3年ほどの命なら、手術は、多分しないでしょう。でも、こればかりはわかりません、もう少し長く生きる方に賭けてみましょうか。
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また姉は右耳がほとんど聞こえないと言う。耳が遠くなると認知症が近くなる……それは大変だ。ということで姉に病院に行ってみる? と訊いてみた。
すると「もう、いい。あちこち行くの、もう面倒、行きたくない」
無理強いはしません、姉には姉の考えがあるでしょう。多分、この先も余程のことにでもならない限り、病気・病院恐怖症の姉が病院に出向くことはないでしょう。
でも、どうなのでしょうか?
特別、痛いとか苦しいがなければ、行くことはない? 詳しい検査などすることはない?
年齢ゆえの諦観みたいなものがあるのでしょうか? まさか、そこまでとは思えませんが……。
私も姉の歳になったら、どうでしょうか? 「面倒くさい」、確かにそうですが、それより1人で病院行って、検査して、また遠い他所の病院へ、で、また……。
そんなこと、とてもじゃないが……できますか?
だったら今のうちに、1日でも若いうちに、行かなくちゃ、普通に歩けるようにもして欲しい。
行かなくちゃ、まだ自分の住所、名前が言えるうちに。簡単な足し算、引き算できるうちに、行かなくちゃ、行かなくちゃ、身体の不具合治してもらいに行かなくちゃ。
身体だけでなく、ついでに加齢による顔の不具合も、ちょちょっとお直し、どうかしら?
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