昨日、書いたオッチャンのこと、6月にも書いておりました、内容もほとんど同じ。
つまらん話を何度も、すんませんでした。
なんせ1ヶ月前の記憶など忘却の彼方、なーんも覚えちゃおりません。
が、しかし、20年前、30年前、バブル時代、それは、ついこの間。また、それは鮮やかに記憶されていて……それが年寄りというものかもしれません。
今日の午後、珍しいことに姉に電話あり、「サ高住」で暮らす姉の親友からでした。
「サ高住」に入居する前は、身体の不自由な彼女を弟さんが介助していたのです。
が、その弟さんも亡くなって、介助なしでは1人では暮らせない、ということでマンションを売り、「サ高住」に入居したのです。
サ・高住の暮らしは快適だと彼女は言いますが、その快適さは、お金と引き換えという現実。
特別、お金持ちでもない彼女は、常にお金の不安はついて回るようです。
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彼女の凡その年金額を知っている姉は、「今のところは(サ・高住)、(彼女には)高すぎる」と言います。
また、「〇〇ちゃん(弟)が生きていたら、彼女もまだあのマンションで暮らせてたのに」
ですが、その同居時代、姉と弟はよく喧嘩もしていたようです。
その彼女が姉に言うのです。
「妹さんと一緒でいいわね、羨ましいわ」
姉はそれを聞いてどう思い、どう応えたのでしょうか?
お互い、いたら、いたで、いなければ、いないで、色々ありまんねん。
しかし、タラレバ言ってもしょうがありません。そして彼女の問題は、私たち老姉妹の問題でもあります。
ヒトゴトであれば、何とでも言えます。が、自分たちのことはわからない、決められない、現実は見たくない、目を背けたい。
この先は? なるようになる、なるようにしかならない。
とりあえず、明日の夕飯、何にするか、それで私の頭の中はいっぱいだ、大変だ。
姉の頭の中? わからん、知るわけない。
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