贅沢は言わない、今の願いはただただ、以前のように歩けるようになりたい。
歳はとっても元気でありたい、行きたいところに歩いて行ける脚が欲しい。
しかしですよ、その2つだけじゃダメなんです、頭もしっかりしていないと。
『 増え続ける認知症による行方不明者 』
“ 消える高齢者 ”
高齢者が日本の人口の3割に迫る中、認知症による高齢者の行方不明が年々増加し、社会問題となっています。
警察庁によりますと、去年1年間に警察に届け出があった認知症の行方不明者の数は全国でおよそ1万9000人。統計を取り始めた10年前に比べると倍増しています。
体力があって健脚の持ち主、体力が無くても歩ける高齢者……でも認知症。
歩けるだけに、ちょっと目を離したすきに家から出て行ってしまう。同居する家族は気の休まる時がないでしょう。
なまじ元気で歩けるものだから、こんなことになって(行方不明)。
それを思うと、脚力も加齢とともにそこそこ衰えたほうがいいのかもしれません。
生きてる限り、頭も体も脚も、充分、機能してくれる、それが理想でありますが、そうは問屋が、最近はそんなことを考えることが多くなりました。
過去は変えられない、未来は誰にもわからない、だから考えても無駄、今を生きろ、今だけを考えればいい。
とか何とか言いますが、そんなことわかっとるわ、わかってても考えてしまうんじゃ、それができたら悩みはせんわ。
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ということで、私の脚がこうなってからは余計にですね、この先の健康寿命が心配でありまして。
手術して以前のように歩けるようになれば、少しは気持ちもラクになるのでしょうが……。
で、私の姉のこともですね、骨粗鬆症でフレイル、ヨレヨレ、1日の歩数は100歩以下。この先も、努力して云々、それはあり得ませんでしょう。
そんな姉を見て「動けー」「せめて、歩けー」とイライラした時もありましたが……私が変わりました。
運動選手、目指すわけでなし、家のなか歩ければ、もうそれでいいでしょ。食事、着替え、トイレ、風呂、それが自分でできるのであれば。
しかし、それがいつまでできるのか? それが問題だ。
でも、それは姉に限ったことじゃない、私の身体もかなり問題を抱えてる。「姉より若い」、そんなことは何の気休めにもならない。
姉を見ていると、なんかね、もうある程度、達観しているような……いや、そうでなく先のことなど知りたくない、知らなくていい、ですかね。
それこそ、今だけに生きている、そんな感じでしょうか、ある意味スゴイじゃないですか?
病院・医者・病気恐怖症の姉ですから、知りたくない、知らぬが仏、逃げられるだけ逃げる、このまま何とか逃げ切りたい、そう思っているのでしょう。
私は、姉とは反対に、調べる、調べる、知らなくていいこと、最悪のことまで。で、ああ、眠れない、困ったものだ。
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