姉と私がいつも行くスーパーは大きいだけに商品が豊富。
うるさいことを言わなければ生活に必要なものは何でもここで揃う。
一概には言えないけど、同じ商品でも他の店より、お安い。
だったら年金暮らしでなくても、行くでしょ、当然でしょ。
でも、その人は、行かない。
なぜなら、その人にとってその店は「安かろう悪かろう」のイメージしかないからだ。
で、その店の話をするときは、ちょっと見下したような、そんな感じを受けるのじゃった。
これは貧乏人のヒガミか? いいや、そんなことない、だって、そう言ってたもん、ほんとだもん。
だから、その人は、少し遠くても、お値段お高めであっても、良品揃いの? スーパー〇〇を利用していたのであった(このことはどこかに書いたことがある)。
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しかし、人生はわからない、死ぬまでわからない。
その人には、その夫婦には、その歳になって、想定外な老後がやってきた。
暮らしは変わった。
グダグダ理想を言っていられなくなった、そんな時間もなくなった、お金のことも考え直さなければいけなくなった。
だから買い物に行く店も変わった。
はい、そうです。近くて、商品抱負、しかも安い。
はい、ここは、ワタシタチ老姉妹が利用するスーパーですわね。そこを利用するようになったのだ。
そして、今、その人は、私に言う。
「あそこはいいわよね。知らなかったわ」
「そうよ、いいわよ。近いし、何でもあるし、お安いし。商品だって『安かろう悪かろう』そんなことはないわよ」と私は応える。
というわけで先日、その人に誘われて、行ってきましたのよ、そのスーパーに。姉と私と彼女、その3人で、彼女の車に乗って。
彼女、たくさん買ってましたわ。
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