あんなに元気だったのに(2)…他人(ひと)は、見ているものだ

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怒ったぞー

と、その前に、加齢オコリンボまた怒っている。

一体この国はどうなっているんだ? どうなってしまうんだ?

栄枯盛衰は世の常、とはいえ、こんなになっちゃって。

ゆでガエル国家は、国民はどこへいくのか?

私たちはいいわよ、もうすぐ死ぬんだから。

しかしだよ、これからの人たちは?

どうなるんだか……。

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今、家の中でも外でも「杖」を使っている。

そのためか、近所を歩いていると、今までは、出会っても、目礼くらいしか交わさなかった人に、声をかけられるようになった。

そして開口一番、

「どうしたんですか(杖ついて)?」と訊かれる。

で、私は簡単に説明をする。

すると「あらー」「まあー」「だって、あなた、よく歩いてらしたでしょ」

通勤で週5日、4日、駅までの道を元気に歩いていた。また休日にも歩く。その姿を見ていたのでしょう。

それが、ちょっと見掛けないと思ったら、あらま、「杖」ついて。

であれば、「あらー、どうしたの?」「あんなに元気だったのに」そう思いますわな。

私が逆でもそう思いますわな。そしてそのワケを知りたい。

というわけで「杖」がきっかけとなり、最近は、立ち話するご近所さんが、少しだけ増えました。

脚に問題がなかったときは、ご近所さんに出会うのが嫌で面倒で、それを避けるためにUターンしたり隠れたり横道にそれたりしたものです。

けれど仕事を辞め家籠りとなってからは、何だか人恋しくて、こうしてご近所さんと交わす軽い立ち話が気晴らしにもなってきたのでありました。

「声かけてくれてありがとう」今はそんな気持ちにも。

他人(ひと)は、こちらが考えている以上に、よく見ているものだ。でもそれは何となく、見るともなくではあるけれど。

もう何日も雨戸が開いてない。洗濯物が何日も干しっぱなし、またはその逆。郵便物が溜まっている。夜になっても明かりが点かない、点いたまま。

考えようによってはウザい「近所の目」「他人の目)も、歳をとってくると、そんなことが人助けに繋がる日があるやもしれぬ。

私、今、脚はこんなですけど、他は元気です。

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