昔、敬老の日は9月15日だった、それが9月の第3日曜日になったらしい。昨日が敬老の日だなんて……ということは昨日の3ババランチは敬老会でもあったわけだ。
何だか知らないうちに色々なことが変わっていく、その最たるものは、自分の歳だ。
自分が、カンレキーーー? ロクジュウ? それから早数年、嘘でしょ? という具合に毎日が超特急で過ぎていく、何もせずに。
ランチ友であるモウヒトリサンは私より2つほど若い(はず)。だからか、いつも、オババのことを年上扱いする、当たり前だが。似たようなことは以前も書いたことがある。
傍から見れば、同年代のオバサン、バアサンだ、しかし、彼女にしてみれば、年齢に関してだけは、オババとは完全に一線を引きたいらしい、引くのだった。
傍から見れば、60代のオバサン2人の歳が、2つ違かろうが3つ違かろうが興味もないし、そんなことにこだわって、ちゃんちゃら可笑しい。
だろうけれど、当人にとって、その2歳の差はとてつもなく大きく大問題なのだ。だからか、オババと2人きりで話している時でも、年齢に関しては、決して、「わたしたち」とは言わない。
「あの人の齢は、私(モウヒトリサン)くらい」
「その人の齢は、かがみさん(オババのこと)くらい」
たった2歳違い、でも、こうしてピッチリと線引きをする。これに気が付いた時は、ちょっと可笑しかった、「くらい」なら2つも3つも一緒じゃないか。
たった2歳、しかし彼女にしてみれば、2歳も、年上、一緒じゃない、そういうことなるのでしょう。
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しかし、待てよ、オババにもそんなことがありました。年上のアンタに「わたしたち、あたしたち」「「あの時代は」「あの頃は」「一緒よね」「そーよね」。
と、さも同じ齢で、同じ時代を生きたような話し方をされると、むーーーっとしたものです。
違うだろーーーー、一緒にするな、アンタと私は、歳が、全然、違うの、アンタは私より、ずーーーーーと年上、一緒じゃないの、と、お腹の中で叫んでおりました。
年上アンタは私より6つか7つ、年上、どう思います? 一緒にされたくありませんよね。
2つ違いであっても6つ違いであっても、年齢だけは、「年上の人」と「わたしたち」で、まとめられたくない、一緒にされたくない、モウヒトリサンも私もそういうことです。
年下の人ならいい? だからその年下の人はイヤなの、年上アンタと「あたしたち」で、一括りにされるのは。
歳をとっても、年齢に関しては、ビミョーなところがありますから、相手をよく見てお話ししましょうね。
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